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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和56年(ワ)80号 判決

原告

山下程二

山下正

山下穌之信

橋口よし

諸岡ルカ

山下キクヱ

浜内リヤ

尾髙ナツミ

山野東太郎

森山政勝

森山キミヱ

右原告ら訴訟代理人

熊谷悟郎

石井精二

小野正章

被告

平戸市

右代表者市長

油屋亮太郎

右訴訟代理人

峯満

竹中一太郎

主文

一  被告は、別紙認容金額一覧表の原告氏名欄記載の原告ら各自に対し、各原告に対応する同表の認容金額欄記載の各金員及びそのうちの同表の内金欄記載の各金員に対する昭和五三年六月二五日から完済まで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の、その一を原告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、別紙請求金額一覧表の原告氏名欄記載の原告ら各自に対し、各原告に対応する同表の請求金額欄記載の各金員及びそのうちの同表の内金欄記載の各金員に対する昭和五三年六月二五日から完済まで年五分の割合による各金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一請求原因

1  当事者

(一)(1) 原告山下穌之信(以下「原告穌之信」という)、同橋口よし(以下「原告よし」という)、同諸岡ルカ(以下「原告ルカ」という)、同山下キクヱ(以下「原告キクヱ」という)、同浜内リヤ(以下「原告リヤ」という)、及び同高尾ナツミ(以下「原告ナツミ」という)は、亡山下吉勝(以下「亡吉勝」という)及び訴外山下善光(以下「訴外善光」という)とともに、亡山下テル(以下「亡テル」という)の子である。

(2) 原告山下程二(以下「原告程二」という)及び同山下正(以下「原告正」という)は、亡山下勝子(以下「亡勝子」という)及び同山下穂(以下「亡穂」という)とともに、亡吉勝の子である。

(3) 亡山下好太郎(以下「亡好太郎」という。)は、亡テルの夫で、原告穌之信、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ、同ナツミ、亡吉勝及び訴外善光の父であり、亡山下ソモ(以下「亡ソモ」という。)は、亡吉勝の妻で、原告程二、同正、亡勝子及び同穂の母であつたが、いずれも、後記本件事故前にすでに死亡していた。

(二) 亡吉勝、同テル、同勝子、同穂及び原告正は、後記本件事故当時、平戸市大久保町字神崎上野所在の吉勝方居宅に居住していた。

(三) 原告森山政勝(以下「原告政勝」という。)及びその妻である同森山キミヱ(以下「原告キミヱ」という。)は、家族四人とともに、後記本件事故当時、同市同町字神崎上野所在のキミヱ方居宅に居住していた。

(四) 原告山野東太郎(以下「原告東太郎」という。)は、後記本件事故当時、同人の家族四人とともに同字神崎上野所在の東太郎方居宅に居住していた。

(五) 被告は、市道白岳線一号道路(以下「本件道路」という。)の管理者である。

2  事故の発生

昭和五三年六月二四日午後一一時四〇分ころ、前記吉勝方の裏側上方の山腹に位置する本件道路の一部を含む斜面が降雨の中で幅約六〇メートル余にわたつて突然崩壊し、その際、土砂、岩石、立木等が激しい勢いで斜面を落下し、その直下にあつた吉勝方居宅及びその下方約一〇〇メートルの地点にあつた前記キミヱ方居宅をいずれも右土塊等で押し潰して倒壊させ、更に、本件道路の崩壊箇所より下方約二〇〇メートルの地点にあつた前記東太郎方居宅を右土塊等で埋没大破させたうえ、吉勝、テル、勝子及び穂の四名を右土塊や倒壊家屋等に巻き込んで、いずれも同日午後一一時五〇分ころ死亡するに至らせ、原告正をも右土塊等に巻き込んで、東太郎方居宅付近まで押し流して重傷を負わせるという事故が発生するに至つた(以下「本件事故」という)。

3  本件道路の設置又は管理のの瑕疵

(一) 事故現場の状況

(1) 位置及び地形の状況

本件事故における崩壊斜面は、平戸島北端に所在する白岳(標高二五〇・三メートル)の中腹南側斜面の東寄り部分にあり、平戸市大久保町田助に所在しているが、右斜面は、全体が高低差約八〇ないし九〇メートル、長さ約四〇〇メートル余にわたる長大な傾斜面である。右崩壊斜面内には、本件道路の一部、前記道路崩壊箇所が存し、当該道路崩壊箇所及びその道路上り延長の一部(本件道路のうち、崩壊箇所及びその道路上り延長の一部を一括して、以下「本件道路部分」という。)は、右斜面のうち、比較的急勾配になつている斜面上部に位置し、その斜面の覆土を一部削り取つて設置されており、右斜面の中途の標高一二〇メートルから、同一一〇メートル附近にかけて、概ね西から東に向かつて緩い下り勾配となつて斜面を横断し、道路崩壊箇所から下つた地点で、下りに向かつて道路が左に大きくカーブしている。本件道路部分の周囲は、道路面を境として、谷側は、約二五〇メートル余にわたつて下り勾配の斜面となり、山側は、谷側に比して相当急傾斜の上り勾配の斜面となつている。

(2)土質の状況

道路崩壊箇所の地盤を含む本件事故の崩壊斜面は、岩盤が非常に多孔質の輝石安山岩であり、その風化物である土を含む表土等もまた非常に多孔質であり、水を含めば膨潤するため、極めて崩壊しやすい土質であつた。

(3) 雨水の流下状況

前記のように、本件道路部分が、白岳の中腹南側斜面の中途に位置し、緩い下り勾配となつて斜面を横断しているため、右道路面を境として山側の斜面に降つた広範囲の雨水は、道路面にまで流下して集中したうえ、道路面があたかも川床の如くになり、右雨水がそのまま道路面に沿つて下方へ流下するようになつていた。

(二) 本件道路部分の設置又は管理の状況

(1) 排水施設の状況

(A) 側 溝

(ア) 本件道路部分には、その山側路端に沿つて、幅約五〇センチメートル、深さ約六〇センチメートルの側溝が雨水等を排水処理するために設置されていたが、右側溝は素掘りであり、かつ、長年月にわたつて、コンクリート製のU字溝等が設置されることなく素掘りのまま放置されていた。

(イ) 又、長年月にわたつて、右側溝の清掃等、保守管理がほとんどなされてこなかつたため、落葉や、側溝の底部及び側壁の部分が崩壊するなどして生じた土砂が側溝内に厚く堆積し、そのため、本件事故当時までに側溝のかなりの部分が埋まつて各所で閉塞していたうえ、初夏から秋ごろまでの間は側溝内に雑草が繁茂するようになつていたものであり、その結果、本件事故当時これらの側溝は排水施設としての機能を満足には有していないという状態にあつた。

(B) 排水用土管等

(ア) 本件道路には、側溝の流下水を谷側斜面の方に排水するためのコンクリート製の土管が道路面下に埋設されており、本件道路部分においても、道路崩壊箇所の中央付近と道路崩壊箇所からやや上方に、それぞれ直径約三〇センチメートルのコンクリート製の土管が道路面下に道路を横断する形で埋設され、その土管の一端は、側溝の側壁の底部付近に、他の一端は谷側の自然斜面の地表面にそれぞれ開口しており、側溝内の流下水は、側溝側の土管開口部から土管を伝つて谷側斜面の方に排水されるが、その流排水を谷側斜面の下方の河川や青溝等まで導水する流末排水施設(水路等)が設けられておらず、道路崩壊箇所の中央付近に存した土管にあつては、自然に形成された水みちも存しなかつた。しかして、右土管からの流排水は、道路崩壊箇所にあつては、谷側の自然斜面にたれ流しの状態となつていた。

そのため、道路崩壊箇所においては、これまで豪雨の際に、右排水用土管の谷側斜面側開口部から多量の流排水が噴き出すように出て谷側斜面に落下し、川のようになつてその斜面を流下するということがしばしばであつた。

(イ) また、側溝の内部には、排水用土管の側溝側開口部の下方直ぐの辺に、側溝内の流下水を塞き止めて滞留させ流下水を右土管に流すために、大きな岩石が埋設されていたが、右土管の内径が、右のように直径約三〇センチメートルと、側溝の断面積及び側溝内を流下することが予測される水量に比して小さすぎるため、豪雨の際などには、側溝内の流下水を十分には排水しきれず、そのため、右土管で排水処理しきれない水は側溝を流下する途中で道路面にあふれ出るという状態であつた。

(C) 路面傾斜、路肩施設等

本件道路部分は、前記のように西から東に向かつて緩い下り勾配となつて山腹の斜面を横断して走つているが、その路面の横断面はほぼ水平となつており、山側側溝部に向かつて下りの勾配をつけていないうえ、谷側の路肩には、水止め設備ないしのり肩排水施設が全く設けられていなかつた。そのため、路面上の流水は、山側の側溝に集水されることが少なく、そのかなりの部分は谷側の自然斜面にそのまま落下してしまう状態となつており、とくに本件の崩壊箇所付近は、その直ぐ下方で道路が下方に向かつて左に大きくカーブしていたから、路面上を上方から流下してきた水が右崩壊箇所の路肩から谷側斜面にほとんど落下してしまう状態になつていた。

(2) 舗装の状況

本件道路部分は、幅員約三メートルで、コンクリートによる簡易舗装がなされていたが、その舗装後本件事故当時に至るまで長年月の経過によつて、路面に多数の亀裂が生じていた。しかるに、被告は、亀裂部分をアスファルトで覆うだけの簡単な補修をしたのみで、路肩や道路の基盤を含む抜本的な補修を全くしてこなかつた。

(三) 以上のような本件事故現場の状況の中における本件道路部分の設置又は管理の右のような状況はとりもなおさず、被告の本件道路部分の設置又は管理の瑕疵にあたるというべきである。

4  事故原因・態様

本件事故は、前記の本件道路部分の設置又は管理の瑕疵によつて発生したものであり、本件道路部分を含む斜面が降雨の中で幅約六〇メートル余にわたつて、突然大音響と共に崩壊し、続いてその直下の斜面長さ約二五〇メートル余に及ぶ大規模な斜面崩壊が発生し、その大量の土砂、立木等が激しい勢いで斜面を落下して前記の本件事故を惹起した。

5  損害

原告らは、本件事故によつて、以下のとおり、損害を被つたものである。

(一) テル関係 合計金一一三六万二〇〇六円

同女は、吉勝の妻ソモの亡きあと、一家の主婦として、また母親代りとして、家事や農作業に従事していたものであり、死亡時七七才であつた。

(1) 逸失利益 金二八六万二〇〇六円

a 年 収 金一四九万七一〇〇円(賃金センサス昭和五三年第一巻第一表産業計企業規模計女子労働者学歴計六五才以上の平均賃金)

b 生活費控除 三割

c 就労可能年数 三年

d 中間利息控除 新ホフマン係数二・七三一〇

e 計算方法 a×(1−0.3)×d

(2) 慰謝料 金八〇〇万円

(3) 葬儀費用 金五〇万円

(二) 吉勝関係 合計金六一五八万三一六二円

同人は、農業のほか、農閑期等には日雇い労働に従事して稼働し、一家の支柱としてテル、程二、正、勝子及び穂の家族五人を養つていたものであり、死亡時四二才であつた。

(1) 逸失利益 金四一〇八万三一六二円

a 年 収 金三六八万一〇〇〇円(前同男子労働者学歴計の平均賃金)

b 生活費控除 三割

c 就労可能年数 二五年

d 中間利息控除 新ホフマン係数一五・九四四一

e 計算方法 a×(1−0.3)×d

(2) 慰謝料 金一五〇〇万円

(3) 葬儀費用 金五〇万円

(4) 家屋及び家財道具等の損壊による損害 金五〇〇万円

同人は、別紙建物目録記載(一)の各建物(登記簿上の所有名義人は亡好太郎であるが、その死後、各相続人間の協議により、吉勝が単独で相続取得することとなつた)及び同建物内の家財道具、農機具の一切並びに杉、檜等の立木数百本を所有していたが、本件事故により、その全てが損壊若しくは流失したものであり、その損害の合計価額は金五〇〇万円を下らない。

(三) 勝子関係 合計金三〇九八万三〇七三円

同女は、死亡時一二才で、中学生であつた。

(1) 逸失利益 金二〇四八万三〇七三円

a 年 収 金一六三万〇四〇〇円(前同女子労働者学歴計年令計の平均賃金)

b 生活費控除 四割

c 就労可能年数 一八才から六七才まで

d 中間利息控除 新ホフマン係数二〇・九三八七(六七才までの係数から一八才までの係数を差引く)

e 計算方法 a×(1−0.4)×d

(2) 慰謝料 金一〇〇〇万円

(3) 葬儀費用 金五〇万円

(四) 穂関係 合計金三三二七万五三二五円

同人は、死亡時八才で、小学生であつた。

(1) 逸失利益 金二二七七万五三二五円

a 年 収 金三〇〇万四七〇〇円(前同男子労働者学歴計年令計の平均賃金)

b 生活費控除 五割

c 就労可能年数 一八才から六七才まで

d 中間利息控除 新ホフマン係数一五・一五九八(前同)

e 計算方法 a×(1−0.5)×d

(2) 慰謝料 金一〇〇〇万円

(3) 葬儀費用 金五〇万円

(五) テル、吉勝、勝子及び穂の損害の相続関係

(1) テルの相続関係

テルの相続人は、同人の夫好太郎が本件事故前すでに死亡しているから、吉勝、善光のほか、原告穌之信、、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ及び同ナツミの八名の子であるところ、テルと吉勝とは本件事故により同時死亡の関係にあるので、吉勝の子のうち生存している原告程二及び同正の二名が吉勝を代襲して相続した。したがつてテルについては、原告程二及び同正が各一六分の一宛、原告穌之信、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ及び同ナツミ及び訴外善光が各八分の一宛相続したものである。

(2) 吉勝の相続関係

吉勝の相続人は、同人の妻ソモが本件事故前すでに死亡しているから、子である勝子、穂、原告程二及び同正の四名であるが、吉勝と勝子及び穂とは本件事故により同時死亡の関係にあるので、原告程二及び同正の両名のみが各二分の一宛相続したものである。

(3) 勝子及び穂の相続関係

勝子及び穂は、本件事故により直系尊属である父吉勝及び祖母テルと同時死亡の関係にあるので、兄弟姉妹である原告程二及び同正がそれぞれ各二分の一宛相続したものである。

(4) したがつて、右四名についての損害賠償請求権の帰属は、以下のとおりとなる。

(ア) 原告程二及び同正各金六三六三万〇九〇四円

テル関係分の代襲相続分各金七一万〇一二五円

吉勝関係分の相続分各金三〇七九万一五八一円

勝子関係分の相続分各金一五四九万一五三六円

穂関係分の相続分各金一六六三万七六六二円

(イ)同穌之信、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ及びナツミのテル関係の相続分各金一四二万〇二五〇円

(六) 原告程二 合計金六九九九万〇九〇四円

(1) 相続分 金六三六三万〇九〇四円

(2) 弁護士費用 金六三六万円

(七) 原告正 合計金七一六四万〇九〇四円

(1)相続分 金六三六三万〇九〇四円

(2) 固有分 金一五〇万円

(ア) 同人は、本件事故により、開放性頭蓋骨骨折、脳挫傷等の重大な傷害を負い、昭和五三年六月二五日から同年八月二六日までの六三日間、平戸市内の柿添病院に入院し、その後同月二七日から同年一〇月一七日までの間、同病院に通院(実日数六日)し、それぞれ治療を受けた。その間の精神的苦痛は金一〇〇万円をもつて慰謝するのが相当である。

(イ) また、本件事故により、吉勝所有の家屋及び家財道具の全てを失つたが、被告は、その被害回復に何ら力を尽くさないため、現在もなお仮設プレハブ住宅での不便な生活を余儀なくされているものであり、これによる精神的苦痛は金五〇万円をもつて慰謝するのが相当である。

(3) 弁護士費用 金六五一万円

(八) 原告穌之信、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ及び同ナツミ 各合計金一五六万〇二五〇円

(1) 相続分 各金一四二万〇二五〇円

(2) 弁護士費用 各金一四万円

(九) 原告東太郎 合計金六六〇万円

(1) 建物及び家財道具等の損壊による損害金五〇〇万円

同人は、別紙建物目録記載(二)の各建物及び同建物内の家財道具、大工道具の一切を所有していたが、本件事故により、その全てが損壊したものであり、その損害の合計価額は金五〇〇万円を下らない。

(2) 慰謝料 金一〇〇万円

右のとおり、本件事故により、建物及び家財道具等の一切を失つたが、被告は、その被害回復に何ら力を尽くさないため一家五人が、現在もなお不便な生活を余儀なくされているものであり、これによる精神的苦痛は金一〇〇万円をもつて慰謝するのが相当である。

(3) 弁護士費用 金六〇万円

(一〇) 原告キミヱ 合計金二二〇万円

(1) 建物の損壊による損害金二〇〇万円

同女は、別紙建物目録記載(三)の建物を所有していたが、本件事故により、同建物は全部損壊したものであり、その損害価額は金二〇〇万円を下らない。

(2) 弁護士費用 金二〇万円

(一一) 原告政勝 合計金三三〇万円

(1) 家財道具等の損壊による損害 金二〇〇万円

同人は、原告キミヱ所有の前記建物内の家財道具一切を所有していたが、本件事故により、その全てが損壊したものであり、その損害の合計価額は金二〇〇万円を下らない。

(2) 慰謝料 金一〇〇万円

右のとおり、本件事故により、原告キミヱ所有の建物及び自己所有の家財道具等の一切を失つたが、被告は、その被害回復に何ら力を尽くさないため一家六人が、現在もなお不便な生活を余儀なくされているものであり、これによる精神的苦痛は、金一〇〇万円をもつて慰謝するのが相当である。

(3) 弁護士費用 金三〇万円

6  よつて、原告らは、被告に対し、国家賠償法二条一項による損害賠償請求権に基づき、請求の趣旨記載の各金員(遅延損害金は、原告らの被つた前記損害のうち、弁護士費用を除くその余の内金について、本件事故発生の日の翌日である昭和五三年六月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による)の各支払を求める。

二請求原因に対する認否及び被告の反論

1  請求原因に対する認否

請求原因1及び2の各事実はいずれも認める。

同3(一)の各事実のうち、(1)は認める。なお、道路崩壊箇所の路面の下り勾配の程度は、約六ないし七度である。(2)及び(3)は否認する。

同3(二)の各事実中、(1)の(A)のうち、本件道路部分には、その山側路端に沿つて、幅約五〇センチメートル、深さ約六〇センチメートルの側溝が設置されており、右側溝は素掘りのままであつたことは認め、その余は否認する。同(B)のうち、道路崩壊箇所の中央付近の路面下に、直径約三〇センチメートルのコンクリート製の土管が道路を横断する形で埋設され、その土管の一端は、側溝の側壁の底部付近に、他の一端は、谷側の自然斜面の地表面に開口しており、側溝内の流下水は、側溝側の土管開口部から土管を伝つて谷側斜面の方へ排水されていたことは認め、その余は否認する。

同(C)のうち、本件道路部分の谷側の路肩に、水止め設備ないしのり方排水施設が設けられていなかつたことは認め、その余は否認する。(2)は否認する。

同3(三)及び4の主張は争う。

同5(一)のうち、テルの年齢及び職業の点は認め、その余は不知。(二)のうち、吉勝の年齢及び職業の点は認め、その余は不知。(三)のうち、勝子の年齢及び職業の点は認め、その余は不知。(四)のうち、穂の年齢及び職業の点は認め、その余は不知。(五)のうち、(1)ないし(3)は認め、(4)は不知。(六)は不知。(七)のうち、原告正の傷害の部位、程度及び入通院期間並びに同人が本件事故後仮設プレハブ住宅に居住していることは認め、その余は不知。

なお、右仮設プレハブ住宅は被告が提供したものである。(八)ないし(一一)は不知。

同6の主張は争う。

2  被告の反論

(一) 被告の管理の経緯について

本件道路は、その昔、リヤカーもやつと通れる程度の道幅で、未舗装の山道にすぎなかつたが、昭和一二年ころ大水川原部落の住民によつて、山側が削られて道幅が広げられ、側溝、ため桝、排水用土管及びそれに続く水路が設けられ、その後の昭和三〇年ころになつて、被告により、市道として管理されるようになつたもので、その設置は、被告がなしたものではなく、被告は、その管理を大水川原部落から引き継いだものであり、崩壊箇所の中途から東側の部分は、約一〇年前に、大水川原部落の住民(戸数約二五戸、人口約九〇人)によつてはじめてコンクリート舗装がされ、その後発生した小さな亀裂はアスファルトで補修され事故当時に至つており、その中途から西側の部分は、昭和五〇年ころに、被告が簡易アスファルト舗装を施行したものである。本件道路は、ほとんど大水川原部落の住民専用の道路となつているが、同部落にとつては、必要不可欠のものである。

(二) 本件道路部分の設置又は管理の瑕疵について

(1) 本件道路には、その設置又は管理に瑕疵があつたとはいえない。すなわち、国家賠償法二条の責任が認められるためには、本件道路部分の設置又は管理について営造物たる道路としての通常有すべき安全性を欠いていたことが必要であることはもちろんであるが、その通常有すべき安全性とは、具体的に通常予想され得る危険の発生を防止するに足ると認められる程度のものを必要とし、かつ、これをもつて足るというべきであつて、およそ想像し得るあらゆる危険の発生を防止し得る設備を有することまで要求するものではないのである。

(2) 側溝が素掘りのままであつたことはそのとおりであるが、道路崩壊箇所にあつた側溝のため桝から上方約七〇メートル(崩壊箇所の西端からは約五〇メートル)の地点には、長さ一・一〇メートル、幅〇・八メートル、深さ一・一〇メートルの大きなため桝があつて、直径〇・四五メートルの排水用のコンクリート製土管がそのため桝横から道路下を横断し、谷側の斜面にあつた大きな水路に接続して埋設されていて、排水する設備が設けられており、通常の場合これより上方の雨水等の流排水は、すべて右ため桝によつて完全に排水処理されていたので、道路崩壊箇所内の側溝部分(長さ約七〇メートル)を流れる排水の量は通常さほどのものであつたとは考えられず、既存の素掘り側溝で十分対応できていたし、排水用土管の内径にも不足はなかつた。又、その側溝底部の傾斜も、流排水を速やかに流下させるに十分なものであり、かつ、この側溝の側壁及び底部には、雑草が生えていたのであるから、側溝内の流水の地下地盤への浸透性はきわめて小さいものであつたと考えられ、道路地盤への悪影響は考えられない。又、側溝が閉塞状態になつていたようなこともなかつた。

(3) 前記のとおり、道路崩壊箇所の側溝の上流には、一定の間隔をおいて、ため桝があり、それらにたまつた排水はいずれも道路下を横断して埋設された排水用土管によつて谷側の斜面に排水処理されておりしかもそれらの排水口はいずれも相当の深さ及び大きさを有する水路に接続されていたため崩壊箇所内の側溝を流下する水の量はもともと少ないものであつたうえ、当該道路崩壊箇所の中央付近にあつた排水用土管の谷側開口部の直下にも、右ため桝からの排水用土管の場合と同様の水路が設置されていたものであり、原告らが主張するような「たれ流し」の状態ではなかつた。仮に、上流のため桝における排水用土管の場合のような水路が人為的に設けられていなかつたとしても、道路崩壊箇所の中央付近にあつたため桝と排水用土管は昭和一二年ころ設けられたものであるから、長年月の経過によつて一定の水路が自然に形成されていたはずである。もし、それさえ形成されていなかつたとすれば、そもそも排水用土管がつまつて盲管となつていたとしか考えられず、いずれにしても、原告ら主張のような「たれ流し」の状態にはなかつた。

又、谷側の自然斜面は、傾斜角度が大きく、したがつて流水は相当の速度で流下していつていたことが容易に推測され、通常の場合には地盤への悪影響はなかつたと考えられる。

(4) 本件道路部分の谷側路肩沿いに側溝等が設けられていなかつたことは認めるが、本件道路のような山岳道路では、通常、路肩沿いとそれに続く谷側の自然斜面に、植林された樹木や雑木、雑草等が生い茂つており、それらが十分に路肩地盤を維持するだけの力を持つているところから、道路の山側の路端沿いの側溝のほかに、さらに谷側の路肩沿いにも側溝等を設けなければ、路肩等に崩壊の危険が生じるものとは、一般に考えられていないものである。加えて、本件道路は、約七度の下り勾配を持つており、路端には雑草も生い茂つていて、路面上の流下水が谷側の斜面に落下するのを阻塞していたので、通常の場合原告ら主張のように、路面上の雨水等の流下水が、谷側の斜面の地盤を緩めるほどにその側に流れ落ちていたとは考えられない。

(5) 本件道路部分に生じていた路面の亀裂は、ごく小さな亀裂であつて、その原因は路盤の柔弱化に因るものではなく、車両等の通行によつて生じたものである。

(三) 事故発生の原因について

本件事故の発生原因及び発生機構は、以下のとおりであり、したがつて、本件事故は、本件道路部分の設置又は管理の瑕疵に起因するものではなく、「通常予想され得る危険」の範囲外にある不可抗力の原因の競合によつて生じた天災であるというべきである。

(発生原因)

(1) 断層群ないし断層破砕帯の存在

競合的原因の第一は、本件道路部分付近の谷側の自然斜面一帯の地下地層に通常道路管理者として予知不能な断層群があり、とくに本件事故の崩壊斜面の頭部付近には北々西から南々東に延びる断層破砕帯が存在していたことがあげられ、このことは事故後の地質調査等によつてはじめて確認されたものである。

本件事故による崩壊斜面の地質は、大きく分けて下層の安山岩類(やや不規則な溶岩と凝灰角れき岩の互層)とそれをおおつている上層の玄武岩類(多斑晶玄武岩の溶岩流とその下の厚さ約二〇ないし五〇センチメートルの黄色に風化した玄武岩質凝灰岩の薄層)との二地層から成つており、両層の間には長い年月を経て堆積された厚さ三〇メートルに達する田助挾亜炭凝灰質岩層があるが、そのうち安山岩類の表層には厚さ数メートルに達する赤紫色に風化した粘土化帯が生じていて、これが玄武岩溶岩及び同質黄色凝灰岩におおわれている。そして、右赤紫色風化帯が地表付近にある場合は、再度風化して軟弱となつているものであり、安山岩類と玄武岩類の地表での分布境界線は、一般に注意すべき弱線といわれている。ところで、右のような地質境界線は、地形上の傾斜変換線と一致するものであり、右傾斜変換線は、本件では、道路の線とほぼ一致していた。又、本件事故後の地質調査によると、道路崩壊箇所付近の山側道路脇の切取り面に小断層(走向ほぼ南北、垂直で東落ち、落差数センチメートルないし一〇数センチメートル)が認められ、その切取り面に見られる黄色凝灰岩層と崩壊斜面の頭部滑落崖に見られる黄色凝灰岩層とのつながりから見て、その間に同様な小断層を数本(合計の落差約一メートル)、すなわち小断層群の存在が推認されるに至つている。更に、事故後のボーリング調査の結果によると崩壊斜面内の当該ボーリング箇所では、地表面下約一・九〇メートルから同約七・三五メートルまでの間が玄武岩の破砕部となつており、その地表面下約五・七メートル付近まで、強風化岩(粘土化した褐色凝灰角れき岩)が流れ盤状に分布している。

右のような断層群ないし断層破砕帯の存在は、地下水の働きとも共同して、地盤災害に大きな影響を持つものである。

ところで、右のような特殊な地質構造上の弱点が本件道路部分の南側の滑落した自然斜面の地下に潜んでいたことは、専門家が事故後局部的に崩壊した原因を実地に調査探究してはじめて知り得たものであつて、本件道路の設置の当初はもとより、その後の管理の過程においても、通常予知することは、不可能であつたものである。すなわち、被告は、雨期に入る昭和五三年五月上旬ころ、平戸市内に危険箇所として三七か所を指定して特別の対策を講じたり、市内パトロールを強化するなどして道路の崩壊等の事故の発生を予防するため、できる限りの対策を実施してきたが、本件事故現場の右のような地質構造上の弱点までは、覚知することがおよそ不可能であつた。右危険箇所の指定は、被告自らの調査によるもののほか、平戸市内各区の区長等を通じて当該区域住民に照会して危険箇所の届出を受け、これによつて平戸市防災審議会の調査審査を経て指定されるものであるが、本件事故現場付近は、右危険箇所に指定されていなかつた。

(2) 地下水脈及び地下水供給路の存在

競合的原因の第二は、予知不能な地下水脈及び地下水供給路の存在である。すなわち、本件事故後の調査の結果、道路崩壊箇所直下の崩壊斜面の地下約二ないし三メートルの深さの所に、幅約〇・一メートル、縦約二メートル、奥行き未確認なるも相当の長さを推測せしめる亀裂の存在が認められ、崩壊斜面の中途の地下推定約七メートルの所に径約〇・一五メートルの水穴が発見されたりしており、更に、崩壊斜面全体の復旧工事中に雨天ではないにもかかわらず、多量の地下水が何か所からも湧出して工事を困難ならしめたことがあり、これらに、各種の調査結果を総合すると、事故現場付近の地下には後背地からの多量の地下水脈及びその地下水を導く自然の地下水供給路が存在していたことが推認される。それは又、前記のように、断層群ないし断層破砕帯が存在し、かつ、事故現場付近の地質が、一定の地下まで崩積土、強風化岩、風化破砕岩等が流れ盤状に分布するという構造になつていたことからも明らかであり、そのために、集中豪雨の際には、断層群ないし断層破砕帯等を経由して豪雨に起因した(浅層)地下水が崩壊斜面の地下地盤に多量に供給され、その結果、地下水位の急上昇を招くという特異な地質構造になつていたのである。又、事故現場付近の地下地盤は、その安定度が悪く、わずかの地下水位の上昇によつても地滑り等の地盤災害が発生する危険がきわめて強い地域であつた。

しかして、右のような特異な地質構造上の欠陥は、専門家が事故後精密な各種の調査をした結果はじめて判明したことであり、事故前には右危険を予知することがおよそ不可能であつたものである。

(3) 集中豪雨

競合的原因の第三は、予知不能な集中豪雨である。

事故当日の午前五時四〇分に降り始めた雨は、平戸測候所の報告によれば、同日午後一二時までに二一七・五ミリメートルに達し、最大時間雨量は同日午後七時四〇分から午後八時四〇分までの間の五七・〇ミリメートルで、平戸測候所開設以来三度目のいわゆるドカ雨であつた。しかも、その二日前に四〇・五ミリメートル、四日前に一六〇・〇ミリメートル、五日前に二・五ミリメートルの降雨をみており、その降雨量は、事故当夜までに合計四二〇・五ミリメートルに達している。本件事故の二〇ないし三〇分前に本件道路部分を登り降りした被告職員は、本件道路部分全体が奔る小川の様な水流となつていたことを目撃している。道路の谷側路肩沿いは雑草のために水流が阻ぎられて谷側の自然斜面には落下してゆかずに本件道路部分の路面を川床として深さ約〇・一メートルもの水流(付近住民の談話によるとその路面上の濁流の深さは約〇・三メートルである)が、奔流となつて路面上を流下していたのである。又被災者のうち、吉勝方居宅の家族以外の人々及びその付近の六戸の人々は、いずれも雨水が激しく流れ落ちてきたため、家が水に流されるのではないかと恐れて避難している。右のような状況に照らすと事故現場付近一帯の局地的な降雨量は、右測候所の発表数値をはるかに上まわるものであつた可能性がきわめて強い。そのような状況の下では、たとえ本件道路部分の側溝及び道床等がコンクリート製であろうと何であろうと関係なしに、崩壊斜面に直接降り注いだ雨水だけであつても、前記のような予知不能な地質構造上の特異な欠陥を内包する崩壊斜面全体の地下地盤層を最大限に膨潤せしめるに十分でありまた、地下水の働きをかつてないほどに増大させるに至り、崩壊斜面の崩壊を容易に引き起しうるものと推認されるのである。

しかして、右のような異常な集中豪雨は、あらかじめこれを予知することが不可能であり、又、そのような集中豪雨にも耐え得るようにあらかじめ全ての道路の整備をなすことは、事実上不可能を強いるものであり、営造物としての道路の設置管理の責任の限界をはるかに超えるものである。

(4) 開 墾

さらに競合的原因の第四は、崩壊斜面一帯が、原告正の亡父吉勝らによつて、自生していた雑木林や雑草等が伐られて開墾されていたことである。

現場付近では、亡吉勝らによつて蛸ツボ式によるミカン植栽が行なわれ、そのミカン畑は段々畑となつていたのであるが、前記のような異常な雨量のもとでは、段々畑に直接降り注ぐ雨だけでも、その地下層へもたらす影響は甚大であり、加えて、自生の雑木等が伐採されていた結果、地盤自体緩みやすくなつていたものであり、それらのみをもつてしても、優に、本件の崩壊の原因となり得るものであつたと考えられる。昭和一二年、本件道路が拡幅改修されて以来、前記のように道路面の舗装がなされただけで、道路そのものに何らの変更や変化もないのに、本件事故のときになつてなぜ、前記のような大きな崩壊が生じたかは、右の開墾と関係があると考えられる。すなわち、右のミカン畑は、昭和四〇年ころが最初で、昭和五〇年ころその範囲が拡げられているが、それ以前の大雨で崩れなかつた事故現場が、本件事故になつてはじめて崩れて大災害となつた原因は、その客観的な現地の変更という観点からみる限り、右の開墾こそその原因であるという以外何もないのである。

(発生機構)

本件事故は、第一次的に、道路崩壊箇所より下方の自然斜面が滑動し、次いで、道路崩壊箇所が、第二次的に崩壊したものであり、右第一次滑動は、原告らの主張する「がけ崩れとしての崩壊」ではなく、「地滑り」である。

右第一次的滑動は、前記のような各原因が競合して発生したものである。すなわち、今回の集中豪雨に起因したきわめて多量の後背地からの(浅層)地下水が、事故当時までに小断層群ないし断層破砕帯の地層を中心として自然に形成されていた地下水の供給路を経由して、事故現場付近の地下地盤に集中し、その地下水位の急上昇を招き、加えて、事故現場付近の斜面が開墾され、段々畑になつていたことから、当該斜面に降り注いだ多量の雨水の地下地盤への十分な浸透を招き、地盤を膨潤させ、それらが合いまつてついに地盤の安定を失わせ、その結果、地下地層の赤紫色に風化した粘土化帯である強風化岩の層を滑り面として発生したもので、がけ崩れに比べてはるかに大規模な地滑り現象である。

したがつて、仮に、本件道路部分の設置又は管理に何らかの瑕疵があつたとしても、そのような道路に関係する瑕疵は、本件事故の発生とはおよそ無関係であり、因果関係がないものである。

(四) 損害について

原告らは、亡吉勝の逸失利益の算定にあたつて、賃金センサス男子労働者学歴計の平均賃金表に拠つているが、同人はその住居地において、日雇労働に従事稼働していたのであるから、より現実に近い収入の算定方法によるべきである。しかして、平戸市建設業協同組合(当時の同人の就労先である西川組(西川昭二郎経営)が加入していた組合)が昭和五二年六月六日に決定した同年七月一日施行の賃金基準額によれば、同訴外人の賃金は一日三八〇〇円(年間三六五日分で一三八万七〇〇〇円)である。

三抗 弁

1  他原因の介在について

仮に、本件道路部分の設置又は管理に原告ら主張のような瑕疵が存在し、かつ、当該瑕疵が本件事故発生の原因の一つになつていたとしても、本件事故は、右瑕疵以外に数個の他原因が競合してはじめて発生したものである。すなわち、右道路部分の瑕疵以外に、前記のような地質構造上の特異な弱点ないし欠陥や記録的な集中豪雨、亡吉勝らによる崩壊斜面の開墾といつた他原因が存しているのである。又、右のような他原因は、通常の道路の設置又は管理上の知見によつてはその存在がおよそ予知し得ないものであり、したがつて、本件事故発生について、被告に、本件道路部分の設置又は管理の瑕疵による責任が肯認されるとしても、その責任の割合は、予知不能な他原因が本件事故発生に寄与した割合を控除した残部に限られるべきである。さすれば、被告の責任は、これを認めざるを得ないとしても僅少にとどまるものといわねばならない。

2  過失相殺

仮に、被告に本件事故による損害の賠償責任があつたとしても、本件事故発生について原告らにも次のような過失があつたので、その部分を過失相殺すべきである。

すなわち、原告らは本件事故現場の道路側溝のため桝から道路下を横断して、谷側斜面側に側溝内の雨水等を排水処理すべく設けられた排水用土管について、谷側開口部側に何らその排水を導水して処理すべき水路等の施設が設けられておらず、長年にわたつて、たれ流しの状態にあり、強い降雨の際には、その下方の亡吉勝方等においてしばしば危険な状況がみられたといい、この点の瑕疵を被告に対する最大の帰責原因すなわち本件事故の最大の原因として、主張するものであることは、その主張自体から明らかなところである。

してみれば、原告らとしても、本件のような災害に至る以前の段階において被告に対して、相当の措置を講ぜしめるため、その危険を通報し、若しくは、自ら可能な限度で、簡易かつ応急的な排水施設等を設けて自衛の措置を講ずるのが当然の常識であり、又、その危険な状況は長年月にわたるものであつたのであるから、その谷側斜面の利用にあたつても、同斜面一帯における雨水の地下浸透を少しでも防ぐため植林その他栽植に意を用いる等すべきであつたのに、何ら右のような措置をとることも、意を用いることもしなかつたのであり、その過失は明らかというべきである。

3  損益相殺ないし一部弁済

被告は、本件事故による亡吉勝の死亡について、その遺族全員に対し、昭和五三年六月二八日、見舞金として三〇〇万円を支払つた。

四抗弁に対する認否

抗弁1及び2の主張は争う。

第三  証 拠〈省略〉

理由

一  当事者

請求原因1の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  事故の発生

請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

三  本件事故の原因及び態様

本件事故の原因及び態様に関する事実認定は、原告の主張する本件道路の設置又は管理の瑕疵が国家賠償法二条所定の営造物の設置又は管理の瑕疵といえるか否か、いえるとして、それが本件事故の原因となつたか否か、原因となつたとして他原因の介在との関係において寄与度が考慮されるか、といつた法的責任を判断するためのものであつて、土木計画学ないし地質学等の自然科学上の厳密な意味における原因及び態様の究明を目的とするものではない。ここではむしろ、これら自然科学上の知見を借りて右法的責任の判断のために事実の認定を行うこととなる。

1本件事故現場の位置、地形の状況(請求原因3(一)(1))並びに本件道路部分には、その山側路端に沿つて、幅約五〇センチメートル、深さ約六〇センチメートルの側溝が設置されており、右側溝は素掘りのままであつたこと、道路崩壊箇所の中央付近の路面下に、直径約三〇センチメートルのコンクリート製の土管が道路を横断する形で埋設され、その土管の一端は、側溝の側壁の底部付近に、他の一端は、谷側の自然斜面の地表面に開口しており、側溝内の流下水は、側溝側の土管開口部から土管を伝つて谷側斜面の方へ排水されていたこと、本件道路部分の谷側の路肩に、水止め設備ないしのり肩排水施設が設けられていなかつたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すれば、以下の各事実を認めることができる。

(位置及び規模)

本件事故による崩壊斜面は、白岳(標高二五〇・三メートル)の中腹南側斜面の東寄り部分にあるが、その範囲は、右斜面の傾斜に沿つて上下方向(北東から南西へ走向)に細長い帯状に、最大幅約七〇メートル、長さ二五〇メートル、面積約一万平方メートル以上にわたつており、最上部の崩壊部(土塊等の滑落が発生した箇所)とその下方の流下部及び堆積部(滑落した土塊等が流下し、堆積した箇所)に分けられる。

最上部に位置する主たる崩壊部は、その頂点からせいぜい下方約五〇メートルまでの部分であり、面積は大よそ約一五〇〇平方メートルにとどまり、滑落した地層の厚さは、地表面から最大でも約七メートルであり、全体としては、約二メートルから約七メートルまでの幅で変化している。したがつて、最上部の主たる崩壊部から滑落した土塊等の堆積は最大に見積つても、概ね約一万立方メートル程度であつたと推測される。

(地 形)

崩壊斜面は、本件事故前の地形では、標高約一一〇メートルから約三六メートルまでの間にわたつており、その斜面の傾斜は、最上部が約二六度と最も勾配がきつく、その下方は約一七度から約二三度までの間でゆるやかに変化しており、その全体の平均傾斜は約二二度であつた。土塊等の滑落は、主として右の最上部に生じており、そこから滑落した土塊等が、斜面に沿つてほぼ真直ぐ下方に約二〇〇メートルにわたつて流下し、下方で堆積した。

更に、崩壊斜面の頭頂付近には、道路崩壊箇所が位置しており、本件事故前には、その区間中央やや上り寄りの道路路肩から、下方約五五メートルの地点に吉勝方居宅、同約九三メートルの地点にキミエ方居宅、同約一六六メートルの地点に東太郎方居宅がそれぞれ存在したほか、その最上部から中段寄りにかけての斜面部分は、その過半が、みかんの木の植栽された段々畑で、その段数は三段程度であり、段と段の間には高さ約二ないし三メートルの石垣があり、その余は杉や檜などの林や草刈場(牧草地)となつていた。その下方の斜面は、大半が畑や田となつていた。

又、最上部より上方(崩壊した道路を挾んで山側)にも、白岳の南側斜面が続いているが、崩壊斜面よりかなり急傾斜になつており、道路に沿つた線が、その地形上の傾斜変換線と一致していた。

(地 質)

崩壊斜面付近の地質は、大別して、安山岩類と玄武岩類に分けられ、安山岩類は、塊状の安山岩溶岩状部と安山岩質凝灰角れき岩状部に分かれ、やや不規則な溶岩と凝灰角れき岩の互層となつている、玄武岩類は、三層に分かれ、その間には玄武岩質凝灰角れき岩を挾むが、崩壊斜面内では、その頭頂部で、右三層のうち、最下層の多斑晶玄武岩の溶岩が、安山岩類を覆つており、右玄武岩溶岩の下層には、厚さ約二〇ないし五〇センチメートルの黄色に風化した玄武岩質凝灰岩の薄層が存する。安山岩類の生成から玄武岩類の生成までは、安山岩類上の厚さ三〇メートルに達する田助挾亜炭凝灰岩層の堆積(崩壊斜面内には見られない。)に示すごとく、かなりの期間の間隔があるため、玄武岩類が生成されるまで地表面を形成していた安山岩類の表層には赤紫色に風化した厚さ数メートルに達する粘土化帯(以下 赤紫色風化帯」という。)が生じており、その赤紫色風化帯の層が、右の玄武岩溶岩及び同質黄色凝灰岩に覆われ地下に残つている。

右の赤紫色風化帯は、通常やや硬く締まつているが、それが地表付近にある場合には再度風化して軟弱になるため、安山岩類と玄武岩類との地表での分布境界線付近は、地質構造上注意すべき弱線となりうるものであるところ、そのような地質境界線は、地形上の傾斜変換線と一致するものであり、崩壊斜面付近では、本件道路に沿つた線がまさに右のような弱線となつていた。又、右傾斜変換線付近、即ち、本件道路に沿つた線付近の地表付近の地層には、山側上方の急斜面からの崩土が比較的厚く堆積していたことが推測され、右のような崩積土は、豪雨の際の土石流の素材となりうるものであつた。

又、道路崩壊箇所のやや上方の山側道路脇の斜面の切り取り面(侵食崖)には、走向がほぼ南北で、垂直東落ち、落差数センチメートルないし一〇数センチメートルの小断層数本が見られ、崩壊斜面の頭頂部の南東側滑落崖に認められる黄色の玄武岩質凝灰岩層とのつながりから見て、その間に同様な小断層数本(合計落差約一メートル)の存在が推認される。右のような小断層群は、地表水及び浅い地下水の下部浸透を容易にするものであり、又、地下水の供給路の役割を果たすものでもあつた。

本件事故直後の崩壊斜面の頭頂及びその両側の滑落崖にあらわれた地層は、大別して、厚さ約二ないし六メートルの崩積土の層とその下の岩盤の層から成つており、滑落崖の高さは最大約七メートルに及んでいた。細かく見れば、頭頂付近の滑落崖では、崩積土層が厚さ約一ないし一・五メートルと薄く、その下の岩盤層は黒色の玄武岩溶岩であり、頭頂部より北西側の滑落崖では、厚い崩積土層が大半を占め、岩盤層は底部にあつて安山岩質凝灰角れき岩であり、頭頂部南東側の滑落崖では、比較的薄い崩積土層の下に玄武岩溶岩層、その下に黄色に風化した玄武岩凝灰岩の薄層などが見られた。頭頂及びその両側の滑落崖に囲まれた主たる崩壊部の地表面(滑落底面)には、風化が進んだ安山岩質凝灰角れき岩の岩盤層が露出している。

下方の流下部及び堆積部では、地表面に滑落してきた土塊等(最大径五センチメートル程度の玄武岩や安山岩のれきを若干量混える)が堆積しているが、その下には旧来の崩積土層(強風化安山岩質凝灰岩状の粘土質シルト)が厚さ二・五メートル前後で残つており、更にその下が安山岩の岩盤で、その表層は手で割れる程度に風化が進んでおり、亀裂も多いが、その下は比較的亀裂も少なく安定した基盤岩となつている。又、頭頂からその南側の滑落崖に沿つた線は、玄武岩類と安山岩類の地質境界線及び小断層群の走向線にほぼ一致していた。

(土質、岩質)

崩壊斜面内の安山岩類の岩盤の岩質は、多孔質の輝石安山岩であり、水を含めば膨潤して崩壊を生じやすくなるものであつた。又、その岩盤上の崩積土も、右岩盤の風化物であつて、その土質は、粘土質ではあるが、非常に多孔質であり、水を含めば膨潤してきわめて崩壊しやすくなるものであつた。更に、右の崩積土は、その液性限界及び塑性限界の数値から見て、すべり易い土に分類されるものであつた。

(地下水)

崩壊斜面内の地下地盤における地下水の水位は、昭和五三年七月にボーリング調査をなした時点においては、右調査(以下「五三ボーリング」という。)地点のうち、BV1地点(崩壊斜面の頭頂から下方約二〇メートル)では、安山岩質凝灰角れき岩の岩盤が露出しているその地表面から地下約二・八メートルであり、No.1地点(同約六〇メートル)では、堆積していた土塊等の層の地表面から地下約四メートル(旧来の崩積土の最下層付近)であり、No.2地点(同約一〇〇メートル)では、同じく堆積していた土塊等の層の地表面から地下約三・三メートル(同じく旧来の崩積土の最下層付近)であり、昭和五九年八月にボーリング調査をなした時点においては、その調査(以下「五九ボーリング」という。)したBV3地点(五三ボーリングBV1地点と同No.1地点の中間で、やや同No.1寄りに位置する)で、地表面から地下約三メートル(崩積土層とその下の岩盤層の境界面付近)であつた。

又、本件事故後の復旧工事の過程で、崩壊斜面の頭頂から下方約六〇メートル付近と同約一二〇メートル付近の二箇所に土留めのコンクリートよう壁が設けられたが、その基礎を打つための床掘り工事の際、地下約三ないし四メートルまで掘削したところ、若干量の地下水が滲出し深さ約一〇センチメートルないし十五センチメートル程度たまるという事態が生じた。したがつて、崩壊前の当該斜面においても地下水の水位は地下地層の比較的浅層(崩積土の最下層ないし、その下の岩盤の表層付近)にあつたものと推認される。

しかしながら、右の地下水には、明瞭な流動面は必ずしも認められず、当該地盤内に貯留されている状態に近いものであつた。

(本件道路の状況)

崩壊斜面の頭頂に位置している本件道路は、幅員約五・六ないし四メートル、長さ約二七メートルの部分であり、その山側路端には幅約五〇センチメートル、深さ約六〇センチメートルの素掘り側溝が存在し、右崩壊箇所の中央やや東寄り付近の道路下には内径約三〇センチメートルの排水用土管が埋設されており、その側溝側開口部には集水用のため桝が設けられており、ここで水を滞留させて、右土管へ流し入れる構造になつていたため、豪雨の際には、多量の流水が、右土管から排出されていた。右土管の谷側開口部は、本件事故前、杉や檜の林の方に向けられていたが、右開口部の下には、導水施設が設けられておらず、又その開口部は高さ約二ないし三メートルの石垣の上に乗つており、右開口部の先と、石垣ののり面とがほぼ同一平面となつていた。

したがつて、右土管から排出される流水は、流量が少ない場合には、その水は開口部から石垣を伝つて地盤に流れ落ちており、流量が多い場合には、その水は右開口部から噴出して、地盤に直接たたきつけられるようになつていた。

右道路の路面は、後記拡幅工事のころにバラスが敷かれただけのものであつたが、昭和四七年ころ右崩壊箇所の中途から東側の部分がコンクリートで舗装され、その後路面に小さな亀裂が発生した都度、アスファルトで補修されてきていたものであり、又、中途から西側の部分は、昭和五〇年ころに、アスファルトの簡易舗装がなされたものであり、これが本件事故当時に至つていた。

又、右道路は、昭和の初期には、リヤカーも通れない程の山道であつたが、昭和九年から昭和一二年ころにかけて、拡幅工事がなされ、ほぼ本件事故当時の道幅になつたものである。右拡幅は、一部山側の斜面を削り取り、あるいは、一部谷側の斜面に土坡打ちで盛土をするという方法がとられた。右崩壊箇所の付近は、昭和一〇年ころに主に発破を使つて山側斜面を削るという方法がとられ、拡幅された。素掘り側溝や排水用土管は、右拡幅工事のころ設けられたものであつた。

更に、道路崩壊箇所から道路に沿つて西側上方約五〇メートル付近と、同約一九二メートル付近の側溝部には、それぞれ集水用のため桝が設けられており、そのため桝からは、道路下を横断して谷間の斜面に向けて排水用土管が埋設されていた。

上方五〇メートル付近のため桝は、長さ約一・一メートル、幅約〇・八メートル、深さ約一・一メートルであり、それに接続されている排水用土管の内径は約四五センチメートルであつたが、右土管の谷側開口部は谷側の斜面の地表面に出ていた。右開口部の下には導水施設が設けられていなかつたが、同開口部からの流水で地表面が削りとられ、水路様の溝が自然に形成されており、それが下方の農道まで続いていた。上方一九二メートル付近のため桝は、長さ約〇・九五メートル、幅約〇・六メートル、深さ約一・五メートルであり、それに接続されている排水用土管の内径は約三〇センチメートルであつたが、右土管の谷側開口部付近には、更に同様な集水用のため桝が設けられており、そこから更に排水用土管が隣接する農道を横断して埋設されており、その谷側開口部は、斜面地表に出ていた。

右開口部の下には導水施設は設けられていなかつたが、同開口部から長さ約三メートルにわたつて地表面が流水で深く削りとられており、更にその下端には自然石が敷かれており、流水はいつたんその石にたたきつけられ、その流勢が弱められ、その後に下方の斜面に広がつて流れ落ちていくようになつていた。

上方五〇メートル付近のため桝と同一九二メートル付近のため桝との間の側溝は、長年月の間に、崩土や枯草、落葉などの堆積によつて過半が埋まつて閉塞状態になつており、側溝としての機能が著しく失なわれていた。

又、上方一九二メートル付近のため桝の上方の側溝も同様な状態であつた。

又上方五〇メートル付近の地点で、道路が谷側(西)にカーブしており、上方からの路面流下水は、そこで山側路端の斜面に集中するようになつていたところ、同斜面には、長年月の間に路面流下水等の侵食による崩壊面(切取り面)が生じている。

(本件事故後の状況)

崩壊斜面の頭頂及びその両側の滑落崖は、上方を頂点としてほぼ三角状に切り取られたような形状を示し、その滑落崖ないし滑落底に露出している岩層のうち、玄武岩質凝灰岩層及び安山岩質凝灰角れき岩層の露出面には、明瞭なすべり面が認められた。滑落崖は、最上部のみに存し、頭頂部南東側の滑落崖が直線距離で約六〇メートル、北西側の滑落崖が同約四五メートル続いている。

下方の流下部及び堆積部は、斜面の傾斜線に沿つてほぼ真直ぐな帯状に分布しており、最上部から滑落した土塊等が、ほぼ真直ぐ下方へ流下したことを示しているが、その両側の地盤自体には滑落崖や亀裂、陥没等の変状は格別認められない。

頭頂の滑落崖に露出している岩層のうち、玄武岩溶岩層には、亀裂が存していたが、右亀裂の走向は、滑落崖及び前記小断層の走向線にほぼ沿つていた。

又、頭頂部北西側の滑落崖の裏側(未崩壊斜面)の地表には、亀裂が一部存していたが、そのうちの最も大きいものは、深さ約〇・六メートル、幅約一・二メートル、長さ約八メートルで走向は、頭頂部北西側の滑落崖にほぼ沿つたものであつた。

滑落して移動した土塊等は、五三ボーリングBV1の地点には全く残つていないが、No.1の地点では厚さ約一・八五メートルにわたつて堆積しており、No.2の地点では厚さ約一・三メートルにわたつて堆積していた。右土塊等は、前記のように若干量の玄武岩や安山岩のれきを混えた粘土質シルトであり、表層の風化した岩盤層の一部も滑落したことを示しているほか、No.2の地点にあつては植物根を混えている。

滑落した土塊等は、非常にかく乱された状態で下方に堆積しており、原形はほとんど保つておらず、又、主として最上部から滑落した土塊等が二〇度前後の緩やかな下方斜面を途中で堆積しつつも約二〇〇メートル余にわたつて流下していることから見て、右土塊等は、多量の水を含んだいわゆる土石流となつて相当な速度で急激に落下したことが推認される。

(前 兆)

崩壊斜面に生じた崩壊(最上部からの土塊等の滑落)は、突発的に生じたものであり、格別の前兆はなかつた。

(本件事故前の降雨)

本件事故発生当日は午前五時四〇分に雨が降り始めており、同日の日雨量は、二一七・五ミリメートルであり、最大時間雨量は同日午後七時四〇分から午後八時四〇分までの間の五七・〇ミリメートルであり、右日雨量は、昭和一五年平戸観測所が開設以来、八番目に、右最大時間雨量は、同三番目に、それぞれ多い記録であつた。更に、右発生当日の一日前の日雨量は、〇ミリ、同様に二日前は、四〇・五ミリ、三日前は、〇ミリ、四日前は、一六〇・六ミリ、五日前は、二・五ミリであり、隔日に相当量の降雨があり、事故発生日は、すでにその前々日までの降雨によつて地盤が相当湿潤していたと思われる。

本件事故発生当日の午後九時ころは、どしや降り状態であり、本件道路部分の路面上は、その傾斜に沿つて握り拳大の石が次々と流れており、又、路面が川底のようになつて深さ約一〇センチメートルの流水が急速に流下していた。道路崩壊箇所の下方直ぐの付近で、本件道路は左に大きくカーブしており、したがつて、その上方から路面上を流下してきた表流水は、その相当部分が右カーブの手前あたりで崩壊斜面側へ落下していたものと推認される。又、崩壊斜面の頭頂部付近に存した前記排水用土管の開口部からは、多量の流排水が噴出し、その約二ないし三メートル下の地表面にたたきつけられ、斜面下方へ流下していた。更に、当日の降雨量から見て、崩壊斜面に直接降り注いだ降雨だけでもかなりの量になつていた。

本件事故発生当時ころは、それまでに比べ少し小降りの状態になつていたが、右事故発生は、当日の雨の降り始めから約一八時間経過した時点であり、降り始めからの累加降雨量は当日だけでも二〇〇ミリ前後に達していた。したがつて、崩壊斜面の地下地盤の前記のような土質、岩質を考えると、当該斜面に直接降り注いだ降雨だけによつても、当該斜面の地下地盤への雨水の浸透はかなりの量に達していたと考えられ、これに、路面上の表流水が斜面に落下した分や、排水用土管からの流排水の分、更には、前々日までの降雨の影響を併わせると、崩壊斜面における、地表からの地下地盤への雨水の浸透は、極めて著しいものであつたと確認される。又、崩壊斜面の頭頂付近に存した前記のような小断層群の存在を考えると、地下地盤における浅層地下水の水位も、右降雨の影響を直接受けて、事故発生までには、相当程度の上昇を見たものと推認される。

(崩壊歴)

崩壊斜面内では、昭和五二年ころの梅雨時に、キミヱ方居宅の石垣の一部がその敷地とともに、降雨による表流水などによつて崩れたことがあつたが、その他にはがけ崩れや地すべりは格別発生したことがなかつた。右斜面では、集中豪雨の際には、多量の表流水が流下してくることが少なからずあり、キミヱ方では、家族の者が事故発生前に、そのような多量の水に不安をおぼえて二、三回避難したことがあり、亡吉勝においても、表流水の処理について、それを市に何度か陳情するなどしていたものであるが、今回のような大規模な崩壊現象が具体的に危惧されたことはこれまでなかつた。

崩壊斜面の西側に隣接する斜面においても、山口保方居宅寄りの斜面が、昭和四三年ころ、一部崩壊したことがあり又、崩壊斜面の頭頂部の西側上方の道路山側路端の斜面が、前記のように、路面流下水等の侵食によつて一部削り取られて崩壊しており、切取り面が表われている。

(斜面崩壊―がけ崩れと地すべりとの区別)

斜面崩壊とは、広義では、陸地における侵食の一過程としての、斜面の変形破壊現象を総称し、これらは、大別して、地すべりとがけ崩れの二者に分けられる(斜面崩壊の用語は、狭義では、後者のがけ崩れを指称する)。地すべりとがけ崩れとは、現象あるいは機構的に見ると、その区別が厳密につけ難いものであり、中間的形態と見られるものが実際の斜面崩壊例の中には少なくない。しかしながら、概念的には、右両者は明確に区別されており、現象ないし機構的にも各々一定の特徴的な差異を有するとされ、実際の斜面崩壊例の中にも、各々の典型例として、そのような特徴的な差異を有するものが多数存する。一般に、右両者の特徴的な差異は、別表記載のとおりである。

地すべりは、山地又は丘陵の斜面が主として地質構造上存在する弱い面に沿つて運動し、滑落する現象で、一般に斜面勾配は三〇度未満と緩く、概ね地表面下五メートル以上の深部に発生し、幅四〇メートル以上、長さ五〇メートル以上の規模に及び、その発生に最も関与する因子は、地下水の増加、斜面のバランスの悪化、地震などであり、最初は地表に変形が発生し、その後は右変形が進行し、最後には滑落するものであり、継続的ないし再発的な運動形態をとるものが多い。なお、山岳地帯の地表勾配三〇度を超える急斜面において、突発的に発生し、主として岩塊よりなる地すべりがあり、これは山崩れと呼ばれている。

地すべりの基本的な発生機構としては、素因としての、すべり面となる特有な粘土層の存在と、誘因としての、粘土層内の含水量の増加による粘土強度の低下、又は、粘土層内の含水の飽和状態化ないし、水位上昇による間隙水圧の上昇により、同地層中にせん断破壊を生じて、破壊面がすべり面となり、上層の土塊を乱すことなく、下方へ移動して行くものであると考えられている。

右誘因は、具体的には、地表水の地下への浸透又は、他地域からの地下水の供給であるが、地すべりが発生するためには、地下水が作用して粘土層の強度が著しく弱められることが必要であり、したがつて、地表水の浸透が右誘因となるためには粘土層の上の地層の土質、岩質が透水性のよいものであることが必要であり、そのためには間隙率の大きいことが必要である。又、他地域からの地下水の供給が右誘因となるためには、その供給が容易に行なわれうる地質構造を有することが必要であり、断層や破砕帯の存在が考えられる。

又、右のような含水量の増加や間隙水圧の上昇は、地層の不均質さとも関係していると考えられている。すなわち、透水性のよくない粘土層の上に、透水性のよい地層がある場合、粘土層の上層ないしその上面に浸透水や地下水が滞留し、大きな間隙水圧をもつ滞水層が形成され、それによる含水量の増加や間隙水圧の上昇は、地すべりや崩壊現象(がけ崩れないし崩壊形の地すべり)を引き起こすが、地すべりは、そのうち透水性のよくない粘土層ないしその上面において、土粒子がシルト質や粘土質であるために塑性破壊が引き起こされた場合であり、崩壊現象は透水性のよい上層において、土塊の流動化やせん断破壊が引き起こされた場合であると考えられている。

がけ崩れは、一般に三〇度以上の急勾配の斜面に起こる表層付近の崩れであつて、概ね地表面下約〇・五ないし二・五メートルの浅層に発生し、土量は一、〇〇〇立方メートル以下が普通であり、崩壊物質は主として表層土と岩よりなり、岩は風化が著しいか亀裂に富むものが多く、その発生に関与する因子は、降雨、地震、斜面の改変によるバランスの変化などであり、事前に地表での変形は認め難く、突発的に発生する。

がけ崩れは、基本的には表流水による侵食を原因とする表層の崩れや土石流、浸透水や浅い地下水の集中ないし滞留による含水量の増加や間隙水圧の上昇などを原因とする表層付近での土塊の流動化やせん断破壊による崩れとしてとらえることができ、後者については地すべりの発生機構との共通性が認められ、とくに滑落の場合は、地すべりの場合と同様なすべり面が認められる。ところで、がけ崩れの類型としての滑落の場合は、すべり面は潜在的なものであつて、崩れが発生して初めて現われるのに対し、地すべりの場合は、初生的なものを除けば、過去に滑動した履歴を有するすべり面がすでに存在しているのであり、この点で基本的差異が認められるが、初生的な地すべりになるとその区別は困難である。

以上の事実が認められ、証人藤原の証言中には崩壊斜面の地下地盤中の後背地から来る地下水には沢水に近い高速の流動層が存在し、かつ、その流路は、断層破砕帯を経由して当該斜面の地下に集中するようになつており、右のことは、昭和五九年八月時点の地下水垂直検層、水質検査及び地下水追跡の各調査によつて明確に確認された旨の供述があり、乙第一五及び第二七号証中にも右証言に副う記載が存するけれども、〈証拠〉に照らして考えると、右各調査のうち、とくに地下水垂直検層及び地下水追跡の調査の精度自体に重大な疑問が残るものであつて、たやすく採用し難い。その他前認定を左右するに足りる証拠は存しない。

2以上認定の事実にもとづいて本件事故の原因及び態様を検討すべきところ、弁論の全趣旨によると、本件においては二つの対立する土木計画学ないし地質学上の見解が存し、その一つは本件鑑定の結果に代表される土木計画学の専門家である内田一郎の見解であり(以下「内田見解」という)、他は前掲乙第一五号証に代表される応用地質学の専門家である藤原明敏の見解である(以下「藤原見解」という)ことが認められる。

本件鑑定の結果、証人内田の証言及び弁論の全趣旨によると、内田見解は、結論として、「道路下を横断して設けられているコンクリート管より流下した水を下方へ導く排水路が斜面上に設けられていなかつた。そのためにコンクリート管より放流された水が直接斜面上に落下して崩壊を引き起こしたものと考えられる。それに加えて、道路面上を流れてきた水が斜面へ流下し、その崩壊を拡大したものと思われる」と述べ、その見解の特徴は、その内容として本件事故の原因は本件道路から放流された表流水の落下又は流下にあるとして、地下水に重きを置かないこと、本件事故の態様をがけ崩れと断定していること、その調査の手法として踏査を中心としていて、データーに乏しい憾みがあること、しかし、その本件手続上の性格として、当裁判所が公平な判断を期待できるとして命じた鑑定の結果であることであることが認められる。

前掲乙第一五号証、証人藤原の証言及び弁論の全趣旨によると、藤原見解は、結論として、「本件事故は地すべりによるものであり、その地すべりは、単に豪雨に伴う地表水の増加(地表水はその流速が100cm/sec以上であり、地形上の沢型部に沿つて流下し、透水係数が10-2〜10-4cm/secの地表付近の崩積土中には容易に浸透しない)が直接の原因ではなく、断層破砕帯中を経由した、後背地からの多量の地下水(豪雨に起因する浅層地下水)の供給による地下水位の急上昇が直接の誘因となつて発生した、いわゆる地質構造に起因(発生素因あり)した自然発生型地すべり(不可抗力)と判断される。なお、土管等からの流水による崩壊の場合には、流出口付近が大きくえぐり取られるとともに、その頭部形状がいわゆる馬蹄型の沢状となり、逆くの字型滑落崖(一次すべりと二次崩壊の区分)ならびに直線状の側面キレツ等は形成し得ない。」と述べ、この見解の特徴は、その内容として、本件事故の原因は本件崩壊部分に集中し易い既存の浅層地下水流が豪雨のため水位上昇を来たして多量に供給されたことにあるとして、表流水に重きを置かないこと、本件事故の態様を地すべりと断定していること、その調査の手法として踏査の外、数種類のデータ蒐集を行つていること(ただし、土の透水テストを欠いたり、前記の地下水の垂直検層・追跡調査の精度などそのいくつかの点で不適切、不正確として批判を免れない点がある)、その本件手続上の性格として、被告の依頼にもとづいて作成されたものであり、その調査の主目的が自然発生型地すべりとして、いわゆる「地すべり発生素因=地形・地質・地下水の要因」を有しているか否かにあつたことであることが認められる。

それゆえ右対立する両見解の特徴を考慮しながら、これらの見解を参考とし、加えて、〈書証〉(いずれもその内容自体から土質工学、地質学等の自然科学的知見を内容とすることが認められる)をも参照して、前記1認定の事実にもとずいて本件事故の原因及び態様について検討する。

(一)  本件事故の発生原因

第一に、崩壊斜面内に、崩壊現象(がけ崩れあるいは地すべり)の発生を惹起しうる地形的、地質的素因が複数存していた。その素因は、大別して、

① 当該斜面の最上部に、土石流の素材となりうる崩積土層及びその下の強風化岩層が相当厚く堆積しており、それらの土質、岩質がいずれも粘土質ではあるが、非常に多孔質であり、水を含めば膨潤して容易に崩壊しやすくなるものであり、したがつて、また、透水性も高く、地表水の浸透を著しいものにしていたこと、

② 当該斜面の頭頂が傾斜変換線であるとともに地質構造上の弱線となる地質分布境界線になつており、右境界線より下方においては、基盤岩層の表層に強度に風化して粘土化した安山岩質凝灰角れき岩層がすべり面となりうるものとして存在し、更に右境界線より上方においては、右地層の上に、同様にすべり面となりうる黄色に風化した玄武岩凝灰岩の薄層と、節理や割れ目が発達し、降雨の際には滞水層を形成しやすい玄武岩溶岩流の末端部分が存在していたこと、

③ 右地質境界線に斜交して、小断層群が走行しており、それによつて破砕された部分が、地表水の浸透を容易にし、長年月の間に地盤の風化を著しく進行させ、軟弱化させていたうえ、降雨の際には、後背地からの浅層地下水(中間流)の供給路の役割りを果たしていたこと、

④ 当該斜面の最上部には、階段状に開墾されたみかん畑の部分が相当あり、降雨の際には、地表水の浸透を著しいものにしていたことの四点に分けられる。

第二に、当該斜面を崩壊するに十分な誘因として集中豪雨が存在した。これは、地表では表流水として、地盤に浸透しては、浸透水ないし浅層地下水として、本件事故発生の直接的な引き金となつた。崩壊斜面の地表には、当該斜面に直接降り注いだ降雨のほか、路肩から多量に落下した路面流下水と、排水用土管から噴出して落下した流排水が集中し、それらの地表水は、地表面を侵食し、又、階段上の地表面からの浸透水を著しく増大させた。崩壊斜面の地盤への浸透水としては、当該斜面に直接降り注いだ降雨が浸透する分と、右の路面流下水や側溝排水の形で後背地等から流下して集中した地表水が浸透する分があつた。浅層地下水(中間流)は、主として後背地からのものであり、後背地に降り注いだ降雨が地盤に浸透して、浅層地下水を形成し、これが、主として小断層群(破砕部分)を経由して、崩壊斜面の最上部へ流下して集中した。

(二)  本件事故の態様

本件事故の形態はがけ崩れと地すべりとの中間的なものであり、地すべり性崩壊ないし崩壊形の初生的地すべり(崩壊性地すべり)であつた。

その発生機構としては、崩壊斜面の最上部の基盤岩上の地下浅層(透水性のよい崩積土層及びその下の強風化岩層)に集中した浸透水及び地下水が、当該地層内の含水量を増加して、その地盤強度を著しく低下させ、更に、当該地層内の間隙水圧を著しく上昇させ、その層内にせん断破壊現象を生じさせ、そのせん断破壊された土石塊は、当該斜面の地表に流下集中していた多量の表流水を含んで、土石流となり、下方斜面を急速に流下したものと考えられる。そして、とくに、本件のような、通常のがけ崩れに比して大規模な崩壊現象をもたらしたのは、小断層群や地質分布の境界線といつた地質構造上の弱線の存在と、これに起因して、後背地から集中した地下水の地下浅層での強い働きと、多量の地表水の流下集中による滑落塊の土石流化がその大きな原因となつているものと考えられる。

(三)  道路との関係

崩壊斜面の頭頂付近にあつた本件道路は、少なくとも以下の三点において、本件事故発生を誘発する大きな原因となつていた。

① 素掘り側溝の存在

素掘り側溝は、一般に、その側壁や底部から雨水等の地下への浸透を招くものであるが、道路崩壊箇所付近では、地盤の土質、岩質が透水性がよいものであり、かつ、小断層群の破砕帯部分が道路と斜交していることから、事故現場付近では、集中豪雨の際には、雨水等の浸透が著しいものになつていた。又、素掘り側溝は、昭和九年から一二年にかけてのころ設けられたものであり、以後本件事故発生まで四〇年余にわたつて素掘りのままにされていたことから、側溝からの雨水等の浸透によつて地下地盤の風化が促進されていた。

② 閉塞した側溝の存在

当該崩壊箇所の上方において、かなり広範囲にわたつて、素掘り側溝が崩土や枯草、落葉などの堆積によつて埋まつて閉塞していたため、側溝の排水能力が大半失なわれており、集中豪雨の際には、山側斜面などから流下してきた地表水などが側溝で満足に処理されず、相当量が路面上にあふれ出し、多量の路面流下水となつて道路に沿つて下方へ流下しており、当該崩壊箇所付近では、それが、谷側斜面に多量に落下し、地表水の集中に、一役買つていた。

③ 流末排水処理施設の不存在

本件道路部分の側溝には、所々に集水用のため桝が設けられており、そのため桝からは排水用土管によつて、道路の谷側斜面上へ排水処理されていたが、右土管の谷側開口部の下には格別の流末処理施設が設けられておらず、排水は斜面に放流されていた。とくに、崩壊斜面の頭頂付近にあつた排水用土管にあつては、谷側開口部の直下に流排水の流勢を弱める敷石も敷かれていなかつた。そのため、集中豪雨の際には、右土管からの多量の流排水が噴出して、地表にたたきつけられており、その侵食力を著しいものとしていたうえ、当該斜面を流下する地表水の量を著しく多いものにさせていた。

以上の事実が認められる。証人内田の証言中には、本件事故は、崩壊斜面地表を流下した表面水による侵食、浸透によつて惹起されたがけ崩れの典型であつて、地質分布の境界線や小断層群の存在、地下水の働きなどは、その事故発生に見るべき関連性を有しない旨の供述があり、鑑定の結果中にも、同様な結論の記載が存するけれども、本件事故がいわゆるがけ崩れにしては規模が大きく、かつ、緩斜面に生じていること、崩壊斜面の頭頂が丁度小断層群と地質境界線に規制されており、風化した粘土化帯の表層に明瞭なすべり面が確認されていることなどについて、右のようなとらえ方のみでは必ずしも合理的説明がなされ得ないので、この点の証言及び鑑定の結果は採用しえない。又、証人藤原の証言中には、右とは逆に、本件事故は、後背地から断層破砕帯を経由して崩壊斜面に集中した浅層地下水の水位の上昇によつて惹起された風化岩すべりの典型であつて、そのすべり面は、強風化岩層とその下の新鮮な基盤岩との境界付近にあり、更に、頭頂の滑落崖は、下方斜面の一次すべり発生後に、二次的に引き起こされた滑落によつて生じたものであり、いずれも、地表面の表流水や、地表面からの浸透水との関連性がほとんど見られない旨の供述があり、乙第一五及び第二七号証中にも、右証言に副う記載が存するけれども、本件事故発生直後の地形を示していると見られる前掲甲第三号証、乙第二及び第八号証、同第二号証添付の写真等に照らすと、同証人が一次すべり、二次崩壊の痕跡であるとする逆くの字形に切り込んだ滑落崖面は、事故直後には明瞭には認め難く、さらに、前掲甲第一号証の一ないし、二八によると、右滑落崖面は、本件事件後の復旧工事の過程で頭頂付近が工作機械を使つてかなりの部分削りとられており、地形が改変されている可能性があり、仮に逆くの字形が認められるとしても、右変状が本件事故によつて発生したものであるとはたやすく断定し難い。

加えて、同証人が風化岩すべりが生じたことの証左とする直線上の側面キレツ等については、頭頂部滑落崖より下方の斜面にあつては、最上部から滑落した土塊等が土石流となつて流下したことにより生じた崩壊斜面の形状がほぼ直線的な帯状を示してはいるが、同証人が指摘する側面亀裂と認められる地形的変状が前記復旧工事前に存在したことを認めるに足りる証拠がないので、その前提を欠くことになり、更に同証人の右のようなとらえ方は、本件事故における崩壊の態様、すべり面の位置、最上部における土質及び岩質等についての前認定事実と必ずしも符合しないので、この点の右証言及び書証の記載もまた、全面的には採用しえない。

四  本件道路部分の設置又は管理の瑕疵

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(被告の管理の経緯)

本件道路は、その昔、リヤカーも通れない程度の山道であつたが、昭和九年から同一二年ころにかけて、大水川原部落の住民によつて拡幅工事がされ、路面にバラスが敷かれ、側溝、集水用ため桝、排水用土管などが設けられた後、昭和三〇年ころになつて、被告が市道として管理するようになつた。昭和三〇年ころまでは、側溝、集水用ため桝、排水用土管などの清掃等の保守管理は、年二回、右部落の住民によつて行なわれていたが、その後は被告がこれを引き継いだ。

本件道路の路面は、昭和四七年ころ、右部落の住民によつて、道路がカーブしている箇所や勾配が急な箇所に限つてコンクリートの舗装がされ、その後、当該舗装面に発生した亀裂にはアスファルトが埋められて補修されてきていたところ、昭和五〇年ころになつて、被告によつて、その残りの部分もアスファルトの簡易舗装がなされた。

(被告の管理の状況)

被告が管理するようになつた昭和三〇年以後も、本件道路の側溝は素掘りのままの状態で放置されていた。

同じく被告が管理するようになつて以後、前記のように道路崩壊箇所の上方ではかなり広範にわたつて、その側溝内に崩土や枯葉、落葉などが厚く堆積し、閉塞状態となつており、側溝の排水能力が著しく損なわれていた。

同じく被告が管理するようになつて以後も、側溝の集水用ため桝に接続されて設けられた排水用土管の谷側開口部の下に、流末排水処理施設が欠けて右土管からの排水が谷側斜面に放流されるままになつていた。

(道路の設置又は管理についての土木技術の水準)

本件事故発生当時の土木技術の水準において、道路排水の目的としては、道路各部の排水を良好にすることによつて降雨、融雪により路面又は隣接地より道路部に流入する地表水、浸透水又は地下水面から上昇する水によつて道路施設が弱化することを防止すること、雨水等による地表の流水を速やかに集水し、処理することによつて斜面の洗掘又は崩壊を防止すること、路面への滞水を防ぐことにより交通の停滞やスリップ事故を防止することなどがあげられていた。又、道路施設の破壊、崩壊が、降雨や地下水等の流水や滞水の作用に起因する場合が多いことは道路施設についての防災技術上一般によく知られていた事実であり、そのため、道路施設の設置又は管理については、流水や滞水による破壊を防ぎ、もつて円滑な交通と安全な社会生活を確保するため、適切な排水施設の設置及び管理がきわめて重要なものとして考えられていた。

水が流れ易い施設を造り、自然に流下させることにより排水させる自然排水には、路面及び道路敷外からの表面水を排除する表面排水と、地下水位を低下させたり、隣接する地域及び路面から浸透してくる水や路床から上昇してくる水などをしや断したり排除する地下排水、切土、盛土又は自然斜面を流下する表面水や、のり面から浸出する地下水を排除して、のり面の侵食や安定性の低下を防止するためののり面排水などがあり、これらの中で道路の種類、規格、交通量及び沿道の状況、更に排水の目的、種類、施設の立地条件を考慮して、それぞれの目的にあつた排水施設が選定されねばならないと考えられていた。

具体的に考慮すべき内容の一として、表面排水施設については、その排水施設で処理しなければならない雨水流出量から、その排水能力を決めるべきこと、素掘り側溝は、一般に雨水流出量が少なく、沿道に家屋のない道路や暫定的な排水路として使用されるものであり、水が浸透しやすい土質で、浸透した水がのり面崩壊の原因になるおそれがある場合にはソイルセメント排水溝や鉄筋コンクリートU形溝などに構造を変更させるべきこと、のり面や斜面を流下する表面水は、のり面や斜面の表土を侵食し、あるいは浸透水となつて土のせん断強度を減じ、土の重量を増し、のり面や斜面崩壊の原因となるため、多量の表面水をのり面や斜面に流下させるのは禁物であり、それもあつて、地方部の道路の排水は、極力、下方の河川又は排水路まで導くような排水流末処理施設を設けるべきであり、自然放流する場合は、周囲へ悪影響を及ぼしたり、崩壊の原因となつたりしないよう措置すべきことなどが、本件事故前すでに道路施設の設置又は管理についての防災技術上の見地から考えられていた。

以上の認定の事実によると、本件道路部分には、少なくとも、素掘り側溝の放置、側溝の埋没閉塞及び谷側斜面への道路排水の放流すなわち流末処理の不備において、設置又は管理の瑕疵があつたものというべきである。

五  本件道路部分の設置又は管理の瑕疵と本件事故との相当因果関係

前認定事実によると、本件道路部分の設置又は管理についての上述の瑕疵と、本件事故との間には因果関係があることは明らかであり、したがつて、被告は、原告らが被つた損害のうち、その発生について右瑕疵との間に相当因果関係の有する限度において責任を負わねばならない。そして、道路の設置又は管理の技術その他通常予知不能な原因が存在する場合には、その原因が右事故発生に寄与した割合は相当性の外にあるとして被告の負うべき責任から除外されるべきである。

しかして、前認定の事実によると、他原因として未曾有の集中豪雨があり、これに伴つて多量の浅層地下水が小断層群の破砕帯部分を供給路として崩壊斜面の最上部の地下に流下して集中したことがあげられ、それが本件事故発生に寄与した割合は、少なくとも三五パーセントを下らないと認めるのが相当である。

六  原告らの損害

1  亡テル、同吉勝、同勝子及び同穂の死亡損害

(一)  亡テル関係

(1) 逸失利益

〈証拠〉を総合すれば、亡テルは、昭和五〇年四月に吉勝の妻ソモが死亡して以後、同女に代わつて一家の主婦として、又、母親代わりとして、吉勝方の家事を行ない、更に時折農作業にも従事して稼働していたこと、亡テルは、死亡時満七七歳であり、昭和五三年当時の満七七歳の女性の平均余命年数は八・九七年であつたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

右認定の事実に照らすと、亡テルは、死亡時家事や農作業に従事して稼働していたことは認められるものの、就労の具体的態様、内容、程度が本件全証拠によつても必ずしも明らかでなく、満七七歳の高齢者であることや、家族関係、生活環境等を考慮すると、その稼働に対して支払われるべき報酬相当額はこれを算定することがきわめて困難というべきであり、したがつて、同女の死亡による逸失利益は、これを慰謝料額の算定において斟酌するのが相当と解する。

(2) 慰謝料

右の認定事実にもとづいて考えると、亡テルの被つたその死亡による慰謝料としては金八〇〇万円をもつて相当と認める。

(3) 葬儀費用

亡テルは、同吉勝、同勝子及び同穂とともに同じ吉勝方家族の者であり、その死亡によつて、右吉勝ら三名とともに葬儀が行なわれたことは、弁論の全趣旨によつて明らかであるところ、同一家族の者が数名同時に死亡した場合には社会通念上その葬儀を各人別に行なわなければならないような特段の事情のない限り、右数名について合同で葬儀を行なつた場合に通常要すべき費用をその全体額の上限と見て、そのうちの各人宛に相応する部分を、各人当たりの葬儀に通常要すべき費用として算定するのが相当である。

しかして、弁論の全趣旨によれば、右四名の合同葬儀に通常要する費用としては、金一〇〇万円を下らなかつたものと認められ、そのうちのテル関係分は金三〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(二)  亡吉勝関係

(1) 逸失利益

〈証拠〉を総合すれば、亡吉勝は、農業のほか晴天の日や農閑期などには土木人夫として西川組で日雇労働に従事して稼働しており、一家の支柱として家族五名を養つていたこと、右農業としては、畑作地が一〇〇アール程度あつて、そのうちの少なくとも五〇アール程度がみかん畑であつたほか、繁殖牛を一頭飼育していたこと、亡吉勝は、死亡時満四二歳であり、その平均余命は三三・四九年であり、就労可能年数は満六七歳までの二五年間と認められること、同人は、昭和四九年七月二三日から妻ソモの入院による付添看護の必要から生活保護を受けるようになつたが、右保護はソモ死亡後の昭和五二年一月には停止され、同年三月一日には廃止されており、以後は右稼働によつて相応の収入を得ていたことなどを認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定事実によると、その稼働内容は相当に具体的に把握されうるが、なおその稼働内容から実所得額を具体的に算定することは、本件全証拠によつても困難である。したがつて、推計によつてその年収を算出すべきであるが、同人が一〇〇アール程度の畑作地を有して兼業農業を営んでおり、住居地をその稼働の本拠として日雇労働にも従事していたことに鑑みると、その就労による所得としては、昭和五三年の賃金センサスのうち、都道府県別の長崎県における、産業計企業規模計学歴計の満四〇歳から満四四歳までの男子労働者の平均賃金額である年収三〇三万円を下らないものと認めるのが相当であり、これを基礎として右稼働期間を通じて控除すべき生活費を三割とし、中間利息の控除につき、新ホフマン式計算法を用いて、死亡時における亡吉勝の逸失利益の現価額を算定すれば、三、三八一万七、四三六円となる。

(2) 慰謝料

右認定の事実にもとづいて考えると、亡吉勝がその死亡によつて被つた精神的苦痛に対する慰謝料としては、一、〇〇〇万円をもつて相当と認める。

(3) 葬儀費用

前記のとおり、亡吉勝方の家族四名の合同葬儀に通常要する費用としては一〇〇万円を下らないものであるところ、弁論の全趣旨によれば、右のうち、吉勝関係分は五〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(4) 家屋及び家財道具等の損壊による損害

〈証拠〉を総合すれば、亡吉勝は、死亡前、別紙建物目録記載(一)の各建物及び同建物内にあつた家財道具と農機具の一切並びに崩壊斜面内に植栽していた杉、檜、みかん等の立木数百本を所有していたところ、本件事故によつてその全てを損壊ないし流失させて失なつたこと、右損壊時の右損害の時価相当額は、三〇〇万円を下らないことを認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)  亡勝子関係

(1) 逸失利益

〈証拠〉を総合すれば、亡勝子は、死亡時満一二歳の中学生で、平均余命年数は六七・二〇年であり、満一八歳から満六七歳までの五〇年間は稼働しえたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

しかして、同女の稼働による収入は、昭和五三年の賃金センサスのうち、産業計企業規模計学歴計年令計の女子労働者の平均賃金額である年収一六三万〇、四〇〇円を下らないものと認めるのが相当であり、これを基礎として右稼働期間を通じて控除すべき生活費を四割とし、同女が幼少者であり中間利息の控除期間がきわめて長期に及ぶことから、同利息の控除につきライプニッツ式計算法を用いて死亡時における同女の逸失利益の現価格を算定すれば、一、三二六万二、七八二円となる。

(2) 慰謝料

右認定の事実にもとづいて考えると、亡勝子がその死亡によつて被つた精神的苦痛に対する慰謝料としては、一、〇〇〇万円をもつて相当と認める。

(3) 葬儀費用

前記のとおり、亡吉勝方の家族四名の合同葬儀に通常要する費用としては一〇〇万円を下らないものであるところ、弁論の全趣旨によれば、右のうち、勝子関係分は一〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(四)  亡穂関係

(1) 逸失利益

〈証拠〉を総合すれば、亡穂は、死亡時、満八歳の小学生で、その平均余命年数は、六五・九八年であり、満一八歳から満六七歳までの五〇年間は稼働しえたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

しかして、同児の稼働による収入は、昭和五三年の賃金センサスのうち、産業計企業規模計学歴計年令計の男子労働者の平均賃金額である年収三〇〇万四、七〇〇円を下らないものと認めるのが相当であり、これを基礎として右稼働期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、同児が幼少者であり中間利息の控除期間がきわめて長期に及ぶことから、同利息の控除につきライプニッツ式計算法を用いて死亡時における同児の逸失利益の現価額を算定すれば、一、六七五万七、二一一円となる。

(2) 慰謝料

右認定の事実にもとづいて考えると、亡穂がその死亡によつて被つた精神的苦痛に対する慰謝料としては、一、〇〇〇万円をもつて相当と認める。

(3) 葬儀費用

前記のとおり、亡吉勝方の家族四名の合同葬儀に通常要する費用としては一〇〇万円を下らないものであるところ弁論の全趣旨によれば、右のうち、穂関係分は一〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(五)  亡テル、同吉勝、同勝子及び同穂の損害の相続関係

弁論の全趣旨によれば、請求原因5の(五)の(1)ないし(3)の各事実を認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

したがつて、右四名の損害についての相続関係は以下のとおりとなる。

(1) 原告程二及び同正 各四、九二八万七、四六四円(テル関係分につき各一六分の一、吉勝、勝子及び穂関係分につき各二分の一)

(2) 原告穌之信、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ及び同ナツミ 各一〇三万七、五〇〇円(テル関係分につき各八分の一)

2原告正、同キミヱ、同政勝及び同東太郎の損害

(一)  原告正関係

(1) 慰謝料

請求原因5の(七)の(2)(ア)の事実のうち、原告正の傷害の部位、程度及び入通院期間は当事者間に争いがなく、その余の点は、〈証拠〉を総合すればこれを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。さらに、同5の(七)の(2)(イ)の事実のうち、原告正が、本件事故後仮設プレハブ住宅に居住していることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、原告正が、本件事故により、それまで居住していた吉勝方の家屋及び家財道具の全てを失い、きわめて不便な生活を余儀なくされていることを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、原告正の精神的苦痛に対する慰謝料は一五〇万円をもつて相当と認める。

(二)  原告キミヱ関係

(1)建物の損壊による損害

〈証拠〉を総合すれば、原告キミヱは、別紙建物目録記載(三)の建物を所有していたところ、本件事故により、右建物は全部損壊したこと、右建物の損壊時の時価相当額は一五〇万円を下らないものであり、同原告は少なくとも右相当額の損害を被つたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

(三)  原告政勝関係

(1) 家財道具等の損壊による損害

〈証拠〉を総合すれば、原告政勝は、同キミヱ所有の前記建物内にあつた家財道具一切を所有していたところ、本件事故によりその全てを損壊して失つたこと、右家財道具の損壊時の時価相当額は二〇〇万円を下らないものであり、同原告は、少なくとも右相当額の損害を被つたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

(2) 慰謝料

〈証拠〉を総合すれば、原告政勝は、本件事故により、それまで居住していたキミヱ方の家屋及び同家屋内の自己所有の家財道具一切を失い、きわめて不便な生活を余儀なくされていることを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、原告政勝が右家屋及び家財道具の全てを失つたことによつて被つた精神的苦痛に対する慰謝料は五〇万円をもつて相当と認める。

(四)  原告東太郎関係

(1) 建物及び家財道具等の損壊による損害

〈証拠〉を総合すれば、原告東太郎は、別紙建物目録記載(二)の各建物及び同建物内にあつた家財道具と大工道具一切を所有して居住していたところ、本件事故により、その全てを損壊したこと、そのため、きわめて不便な生活を余儀なくされていること、右建物及び家財道具、大工道具の損壊時の時価相当額は五〇〇万円を下らないものであり、同原告は、少なくとも右相当額の損害を被つたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

(2) 慰謝料

前記認定事実によると、原告東太郎が前記建物及び家財道具、大工道具の全てを損壊したことによつて被つた精神的苦痛に対する慰謝料は五〇万円をもつて相当と認める。

3弁護士費用

原告らが本件各代理人に本訴の追行を委任し、かつ報酬の支払約束をしたことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等に鑑み、本件事故と相当因果関係を有するものとして被告に請求しうべき弁護士費用の額は、各原告ごとについて以下のとおりとするのが相当である。

(一)  原告程二関係 三二〇万円

(二)  同正関係 三三〇万円

(三)  同穌之信、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ及び同ナツミ関係各六万円

(四)  同キミヱ関係 九万円

(五)  同政勝関係 一六万円

(六)  同東太郎関係 三五万円

七  被告の責任

原告らが被つた各損害のうち、被告において賠償すべき責任の割合は、前記認定の他原因が当該損害の発生に寄与した割合を控除した残部の限度に限られるものと解すべきところ、その残部は六五パーセントになる。

したがつて、原告ら各自が取得した損害賠償請求権は、前記認定の弁護士費用分を除くと、以下のとおりとなる。

(一)  原告程二 三、二〇三万六、八五一円

(二)  同正 三、三〇一万一、八五一円

(三)  同穌之信、同よし、同ルカ、同キクヱ、同リヤ及び同ナツミ 各六七万四、三七五円

(四)  同キミヱ 九七万五、〇〇〇円

(五)  同政勝 一六二万五、〇〇〇円

(六)  同東太郎 三五七万五、〇〇〇円

八  過失相殺の抗弁について

本件全証拠によつても、原告らにおいて、被告主張のような過失相殺の原因となりうる過失行為があつたものとは認めるに足りない。

九  弁済の抗弁について

被告は、昭和五三年六月二八日ころ、原告正及び同程二に対し、亡吉勝の死亡に対する見舞金として三〇〇万円を支払つたことは同原告らの明らかに争わないところであるのでこれを自白したものとみなす。

しかして、右見舞金は、亡吉勝の子である原告正及び同程二に対する被告の損害賠償債務についての一部弁済と実質的に同視することができるものというべきであるから、同正と同程二の各損害賠償請求権について、各一五〇万円宛その支払に充当するのが相当である。

一〇  結 論

以上の事実によれば、原告らの本訴請求は、別紙認容金額一覧表の原告氏名欄記載の各原告について、各原告に対応する同表の認容金額欄記載の各金員及びそのうちの同表の内金欄記載の各金員に対する事故発生の日の翌日である昭和五三年六月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官東 孝行 裁判官伊藤新一郎 裁判官田近年則)

別 紙建物目録

(一) 平戸市大久保町字神崎上野所在

(1) 木造瓦葺二階建居宅

一階 約六九平方メートル

二階 約二九平方メートル

(2) 木造瓦葺平家建便所兼浴室

約九・九平方メートル

(3) 木造瓦葺二階建牛舎

一、二階とも約二四平方メートル

(4) 木造瓦葺平家建倉庫

約六・六平方メートル

(二) 同 所 在

(1) 木造瓦葺平家建居宅

約一二〇平方メートル

(2) 木造瓦葺平家建牛舎

約三〇平方メートル

(3) 木造瓦葺平家建倉庫

約一〇五平方メートル

(三) 同 所 在

木造瓦葺平家建居宅

約六六平方メートル

別紙

請求金額一覧表

原告氏名

請求金額

内金

山下程二

六九九九万〇、九〇四円

六三六三万〇、九〇四円

山下正

七一六四万〇、九〇四円

六五一三万〇、九〇四円

山下穌之信

一五六万〇、二五〇円

一四二万〇、二五〇円

橋口よし

一五六万〇、二五〇円

一四二万〇、二五〇円

諸岡ルカ

一五六万〇、二五〇円

一四二万〇、二五〇円

山下キクヱ

一五六万〇、二五〇円

一四二万〇、二五〇円

浜内リヤ

一五六万〇、二五〇円

一四二万〇、二五〇円

尾髙ナツミ

一五六万〇、二五〇円

一四二万〇、二五〇円

山野東太郎

六六〇万〇、〇〇〇円

六〇〇万〇、〇〇〇円

森山政勝

三三〇万〇、〇〇〇円

三〇〇万〇、〇〇〇円

森山キミヱ

二二〇万〇、〇〇〇円

二〇〇万〇、〇〇〇円

別紙

認容金額一覧表

原告氏名

認容金額

内金(認容金額から弁護士

費用を控除した金額)

山下程二

三三七三万六、八五一円

三〇五三万六、八五一円

山下正

三四八一万一、八五一円

三一五一万一、八五一円

山下穌之信

七三万四、三七五円

六七万四、三七五円

橋口よし

七三万四、三七五円

六七万四、三七五円

諸岡ルカ

七三万四、三七五円

六七万四、三七五円

山下キクヱ

七三万四、三七五円

六七万四、三七五円

浜内リヤ

七三万四、三七五円

六七万四、三七五円

尾髙ナツミ

七三万四、三七五円

六七万四、三七五円

山野東太郎

三九二万五、〇〇〇円

三五七万五、〇〇〇円

森山政勝

一七八万五、〇〇〇円

一六二万五、〇〇〇円

森山キミヱ

一〇六万五、〇〇〇円

九七万五、〇〇〇円

別表

地すべり

崩壊

①地質

特定の地質または地質構造の所に多く発生する

地質との関連は少ない

②土質

主として粘性土をすべり面として滑動する

砂質土(まさ、よな、しらす等)の中でも多く起こる

③地形

5°~20°の緩傾斜面に多く発生し特に上部に台地状の地形をもつ場合が多い

30°以上の急傾斜地に多く発生する

④活動状況

継続性、再発性

突発性

⑤移動速度

0.01~10mm/日のものが多く、一般に速度は小さい

10mm/日以上で速度はきわめて大きい

⑥土塊

土塊の乱れは少なく、原形を保ちつつ動く場合が多い

土塊は攪乱される

⑦誘因

地下水による影響が大きい

降雨、特に降雨強度に影響される

⑧規模

1~100haで規模が大きい

1000㎡以下 規模が小さい

⑨徴候

発生前にキレツの発生、陥没、隆起、地下水の変動などを生ずる

徴候の発生が少なく、突発的に滑落してしまう

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